骨董趣味 #6

 古伊万里とは、簡単にいうと幕末以前のすべての有田焼きのことです。なぜ古伊万里というかというと、有田焼の多くが伊万里の港から国内や東南アジア、ヨーロッパへ輸出されたためです。伊万里の名前は、世界に知られるブランドとなって行きます。

 古伊万里は、17世紀にかなりの数量が輸出されています。ヨーロッパのアジア進出に伴っての事です。その中で、オランダは東インド会社をインドネシアのバタビアに設立して、貿易を拡大していました。

日本は鎖国政策をとっていましたが、オランダとは貿易を続けており、伊万里の港から長崎を経て、古伊万里を大量に輸出するようになったのです。

しかし、隣の清国が17世紀初頭に禁じていた磁器の輸出を再開すると、マイセン(ドイツ)、デフルト(オランダ)、ウースター(イギリス)等で、磁器食器の生産がされるようになり、古伊万里の輸出は激減したようです。

伊万里焼の文献上の初出は寛永15年(1638年)の『毛吹草』(松江重頼)である。同書に「唐津今利の焼物」とあり、唐津は土もの(陶器)、今利(伊万里)は石もの(磁器)を指すと考えられています。

近世には「今利」「今里」とも書かれました。有田地区の製品を「有田焼」、伊万里地区の製品を「伊万里焼」と呼び分けるようになったのは、近代以降、船に変わって鉄道が輸送の主力となってからのことです。

 




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