陣場台熱球録 web版 その26

昭和22年、6回目の甲子園へ

 野球ができる喜びを誰もが感じていた。戦時中は敵性スポーツと言われていた野球であったが、戦勝国であるアメリカ人が最も好むスポーツということもあり各地で急速に野球が復活した。GHQも、全国的な野球大会開催には好意的で占領軍の米兵も日本各地を回りながら野球で地元の少年と交流するなどのエピソードもあったようだ。

 福中野球部も誰にも気兼ねせずに野球に励むことができるようになった。この年の春休みには、自費参加で主力の5名が芝浦工専へ出向き合宿訓練に挑んだ。

 夏の大会前には、昭和初期の黄金期にファーストをつとめた鈴木銀之助先輩が来校し選手を鍛えた。岩手県予選は村田栄三監督の采配で一回戦11−1宮古中学、二回戦8−2宮古水産、準決勝7−0釜石商、決勝3−0花巻中学と撃破し戦後初の県内制覇を成し遂げた。

 続く奥羽大会は鈴木銀之助監督で臨み9−0で湯沢中学、決勝戦は5−4で青森中学を撃破し奥羽地区代表として6回目の甲子園出場を成し遂げた。高木、横舘の両主戦投手を軸に投打ともバランスの取れた好チームであった。

 戦後初の甲子園出場は、1000校を超える予選参加校の中から地区代表の19校を集めて行われた。甲子園大会は戸来誠監督の指揮で挑んだ。

 一回戦は山静地区代表の谷村商工と対戦した。福中、5回までに7点を挙げ試合を決したかに見えたが、谷村商工は終盤7点を挙げて同点となった。試合は延長戦にもつれ込み、福中は11回表1点を奪い勝ち越した。

 二回戦は北陸地区代表の高岡商業と対戦した。6回まで福中が4−2でリードを奪い試合を有利に進めた。高岡商業は8回裏に一挙6点、9回表には1点を奪い、試合は決したかに見えた。9回裏に福中は四番・高木のホームランなどで4点を奪い、なおも二死三塁という場面だったが、最後のバッターが内野ゴロに打ち取られ惜しくも敗れ去った。




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