陣場台熱球録 web版 その27

昭和33年、7回目の甲子園へ

 前年秋から就任した中村部長は、福高陸上部を全国の今日に育て上げた実績を生かし、秋から春にかけて野球部員を陸上部と一緒に走り込ませ下半身の強化にあたった。

春季大会は地区予選で一戸高校に敗れるなどすぐには実績も上がらなかった。練習試合でも3勝して10敗するなど決して調子はよくなかった。県大会に出場した一戸高校は県大会でも優勝するなど、県北の注目は一戸高校に集められた。

この年の夏の大会は、40回大会を記念して各都道府県と沖縄から各1校ずつ出場できることになった。甲子園大会は46試合を消化するために西宮球場も併用された。大優勝旗も新調され、予選参加校は1807校になり全国大会には初出場校が20校出場するという大会になった。

 前年までは、主将だけを朝日大阪本社に集めて抽選会を行っていたが、大阪フェスティバルホールが完成したことにより、参加選手全員を集めて抽選会を行うようになった。

 岩手県でも県大会優勝校がそのまま甲子園出場とあって、各校の力のいれようは大変なものがあった。特に昭和31年・32年ともう一歩のところで甲子園を逃している盛岡一高は大変な熱の入れようであった。

 福高野球部も今年こそは全国大会出場という意気込みで練習に励んだ。早い時期から日本大学監督の香椎氏をコーチに招いた。前年の秋から就任した中村部長の意気込みはユニフォームの変更にも現れ、「過去の栄光にすがることなく新しい福高野球部を作る」ことを目標に「FUKUKO」のユニフォームを採用した。

 岩手県大会は参加41校、盛岡市営球場と盛鉄球場を舞台に繰り広げられた。

2回戦   5−0岩谷堂高校

3回戦   1−0釜石工

準々決勝 14−2一関一高

準決勝   1−0盛高

決勝    9−1盛岡農業

 エースの山下投手の投球は冴えわたり、好守共に山下投手をもり立て昭和22年以来7回目の甲子園出場を果たした。

 全国大会では和歌山県代表の海南高校と対戦した。積極的に海南高校の宗投手を打って出たが、速球に手こずりわずか5安打に押さえ込まれた。福岡の山下、吉田の両投手も強打の海南打線を押さえようと奮闘したが19安打を奪われ試合は1−14で敗れた。

 秋季新人戦は地区予選決勝で8−2と一戸高校を破り県大会出場を果たした。県大会では初戦8回雨天コールド3−8で一関一高に敗れた。

 



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