陣場台熱球録 web版 その34

昭和60年 10回目の甲子園出場

 小鳥谷中学校(一戸町)出身の斎藤幸二投手と蟇目中学(新里村)出身の奥堂捕手とバッテリーを組み新チームを引っ張った。

春季県大会は本校と二戸市営球場で開催された。地区予選決勝で沼宮内高校を6−5で破り県大会に出場したが、地元開催の期待に応えることなく初戦で専大北上に敗れた。

 秋から春にかけての成績それほどでもなく、地元ファンもこの年のチームにはそれほど期待をしていなかった。ところが春から夏にかけてエース斉藤投手の調子があがり、ピッチングは見違えるようになった。夏の大会本番には地元ファンの中で「今年はやるかもしれない」という期待が生まれた。

 夏の大会は7月20日から始まった。初戦は7−0で千厩高校を退けた。続く三回戦は水沢工業との対戦だった。試合は終盤まで両チームとも無得点が続いた。終盤に水沢工業はチャンスを作り右翼方向に大きな打球を飛ばした。これが抜ければ0対0の均衡が破れ、水沢工業に試合が傾くという場面で福岡右翼手小船栄幸がグラブの先端で好捕しピンチを免れた。このプレイで流れが変わった。9回表に打線が奮起し2点を奪い2−0で水沢工業を退けた。

 続く準々決勝は岩手県南の伝統校一関一高であった。関高と呼ばれ戦前からのライバル校との対戦とあり多くのオールドファンが球場につめかけた。同じメロディーの校歌も話題に上った。関高は優勝候補の一角であった専大北上を破っての準々決勝進出であった。試合は福岡が先行し、終盤に関高が追い縋るという展開になったが4−2で勝利を収めた。

 準決勝は盛岡工業との対戦となった。戦前の予想では互角の戦いと伝えられたが、福岡の勢いは止まらず、8−1の7回コールドゲームで勝利を収めた。

 決勝戦の相手は5年前と同じく水沢高校である。水沢高校の監督は5年前に福岡を甲子園に導いた斎藤諒監督であった。対する本校の監督は水沢高校OB佐藤監督。新聞は因縁の対決と書き立てた。水沢高校は小川投手を中心にまとまった好チームであり、接戦が予想された。

 決勝戦は福岡が先制した。すぐに水沢高校が追いつき、試合は終盤までもつれた。6回裏に福岡が2点を上げて勝ち越し、そのリードをエースの斎藤投手が守りきった。見事10回目の甲子園出場を果たしたのである。

 10回目の甲子園出場を決めた選手を迎える地元は熱狂した。二戸駅前は1,000人の観衆で埋まり、「校歌」「凱歌」で野球部を迎えた。

 甲子園では初戦で佐賀商業と対戦した。昭和55年と同様に、一般生徒400人、地元の関係者2,000人の応援で試合に臨んだ。試合は接戦となったが4−6で敗れた。

 破れたとはいえ、伝統的なユニフォームや関係者の熱意は「岩手の福岡」を全国に知らしめた。

 なお、この年の夏の大会に行われている応援団幹事と生徒有志による「80キロ行軍」はNHKの全国放送でも取り上げられ、全国的にも反響を呼んだ。


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