陣場台熱球録 web版 その48

大正14年・第11回東北大会

大正14年(1925)の第11回大会では、参加校の激増と地理的な関係上東北大会から青森、秋田、山形を東北大会から分離し奥羽大会を新設した。東北大会は岩手、宮城、福島で争われ、東京朝日新聞の主催、二高後援で8月3日から9日まで仙台市の東北体協球場で行われた。

東北大会参加校は19校で、福中野球部は東北大会ベスト4に進出し「福中強し」との声を聞くようなった。ベスト4進出の立役者、中津川昇二と小坂国夫のバッテリーは、関東以北最大のバッテリーと噂され一躍優勝候補と目されたが、経験の差とでもいうべきか準決勝で盛岡中学に2−5で敗れた。前年秋に行われた盛岡中学との練習試合に開校以来初めて勝利し、今度こそは勝てるという思いで盛岡中学に挑んだが跳ね返された。しかし将来に希望を抱くベスト4進出であった。

決勝戦は盛岡中学と仙台二中の対戦となり、仙台二中が甲子園大会に駒を進めた。

一回戦不戦勝 二回戦5−1相馬中 三回戦14−0福島中 準決勝2−5盛岡中

この年に主戦として活躍した中津川は、明治大学に進学し1年生から主戦として活躍した。天知俊一の秘蔵っ子として、早稲田大学戦の先発投手を務め、重責から泣きながら投球を続け、なんと完投勝利を上げた。

天知俊一が、福中のコーチとして赴任するのは、まさに中津川を通じてのことであり。中津川がいなければ福中の甲子園大会の活躍も無かったかもしれない。

亡くなる数年間、中津川の捕手を努めた小坂国夫に会うことができた。
遠征歌を一緒に歌いながら、当時の思い出話を聞くことができた。
地元の人が、少しずつ寄付金を出し合い、各地の野球チームを福岡に呼び寄せ、練習試合を組んだ。
選手には、金銭的負担をかけないように地域一丸で支えてくれたと、懐かしいそうに語ってくれた。


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