陣場台熱球録 web版 その53


九州の福岡中学と間違われる

 昭和2年、盛岡中学を三度目にして倒し、福中野球部は甲子園に駒を進めた。
 甲子園では九州の代表と間違われ、九州出身者からの差し入れがあったり、おまけに東北ではユニフォームまで訛る(福中選手の言葉を聞いた高松商業ではホゴガ聞こえたらしい)と言われた「H」のユニフォームで話題を振りまいた。

 しかし、一部の野球通の間では、明治大学の名捕手天知俊一の指導を受けたことや、強豪の盛岡中学を破って出てきたことから注目する人もあった。

 準々決勝の高松商業戦での、関西の野球ファンのビックリさせた敬遠満塁策を成功させるに及んで、その評価は最高潮に達した。

 この活躍に「H」のユニフォームは一躍有名になり、昭和3年春の選抜大会に選ばれが、予算不足のため(表向きは練習不足)に選抜出場を辞退することになる。

 この時に出場していれば、東北地方では昭和30年の一関一高を遡ること27年の快挙であった。昭和3年春の選抜で優勝した関西学園が、秋の御大典記念大会で破る快挙も成し遂げている。

 写真は、甲子園に向けて出発するの福中野球部である。




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