陣場台熱球録 web版 その59
大正8年ごろになると野球部と言えるような体制が整ってくる。 野球部歌として「陣場の山浅緑」や「男神女神の精をとり」が作られた。 対外試合には「MIHA」のユニフォームを採用し、八戸中学との定期戦や実業団体会に出場した。 すでに甲子園大会は始まっていたが、福中では予選会に出場することも無く八戸中学との定期戦に備える程度であったが、大正12年になりOBの小向八郎が、ぜひ福中も全国大会を目指すべきと助言。 町の有志を説得し、大正12年には予選会に出場を決めたのであった。
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