平成12年10月号 目の眼 2  

 浄法寺町は岩手県北部で、町には八葉山天台寺という中尊寺より開基が少し古い寺がある。この町は昔から漆の原液の集産地として有名であり、私が初めて浄法寺に行ったのは昭和40年頃は漆の掻き子が12名ほどいた。
 浄法寺の箔椀は南部藩の注文によって作られていたため、古文書が残っている。それによると「箔椀や木地を横流しした者を掴まえれば褒美として具持ちを渡す」という内容で、「正保2年6月20日(南部文書)」とあるが、かなり厳しく取り締まっていたことがわかる。
 南部箔椀は、秀衡椀の影響を受けているが、秀衡椀とははっきり違った特色を持っている。
 形は秀衡椀が縁が内にかかえ気味で高台が曲線状で黄漆をあるのに対し、浄法寺椀は縁は内にかかえず、高台も直線状で外に開いていて秀衡椀との違いがはっきり解り、紋様は秀衡と較べるとかなり様式化されている。雲型の縁も単調になり、したの方まで下がり、その方形の切箔を四枚菱形に置き、その間に太めな箔を一枚置いている。また、雲形の中に紅柄漆で細い線を網代状に描いている。花などの紋様は秀衡は十数種類あるが何故か浄法寺箔椀は枝菊ががほとんどで、菊の花が二三輪に蕾と葉がかなり達者な筆致で描かれている。その菊紋は黄漆・黄粉蒔絵、また箔絵の場合は引っ掻きか、描き割りで花弁を描いている。また、高台に鋸状の切箔を置いたものもあり、秀衡より過食が多く手が込んでいる。この箔椀は四重、それに吸物、壺、平椀を加えた五つ椀もある。この椀は秀衡同様、身分のある旧家に伝わっている。

 宮城県金成の有壁本陣に秀衡椀とともに伝わる南部箔椀は、殿様などの接待用使っていたということである
 浄法寺にはこのような上手の椀のほかに、一般庶民用の雑椀や酒上などがあり、北海道にも大部出したという。雑椀は内外黒で胴に赤漆で草花や鶴、鹿などが少ない筆数で巧みに描かれたものや黒や紅柄の無地がある。また六寸ほどの木皿には銀杏、橘、 茫、瓢箪、桃などの絵柄が余程描いたらしい。絵も益子の山水土瓶のようにぎりぎりに単純化されたもので、どれひとつとっても見事な紋様である。浄法寺やその近辺の野良に出る時、やきものより軽いので木皿を無造作に背負籠に入れて持っていって、煮物やご飯を食べるのに使ったいたという。

 浄法寺町の旧家に箔椀で五ヶ一組で五器、違った形の五ヶ一組を持ち伝えている家があって見せていただいたが、よく見ると上物であって特に気張って作った様子がない。この辺が浄法寺椀の良いところではないだろうか。

株式会社里文出版


(浄法寺の三つ組み椀と伝わる椀)
 

 


戻  る  

国産漆 浄法寺漆チューブ 生漆20グラム  手仕事の日本