江戸期の浄法寺漆器   

 あるサイトで江戸期の浄法寺では漆器が作られていなかったというように書かれていた。その理由として、東京(江戸)遺跡から出土する漆器椀については、家紋を散らす文様が多くみられるが、こうした文様構成は浄法寺漆器の施文にみられないことが挙げられていた。。

  しかし、南部藩の古文書などで、浄法寺での漆器生産は確実に江戸時代には行われていたのである。ただ、一般庶民が使うような雑器は江戸にはほとんど出荷されなかったと思われる。これは生産地と消費地との距離の問題で、より江戸に近い会津漆器が有利だったと考えられる。

  一方、南部箔椀と呼ばれる、金箔をあしらった浄法寺周辺で生産された漆器椀は少数ながら江戸遺跡から出土している。このことから付加価値の高い箔椀は江戸に流通し、会津や大内の箔椀などに影響を与えたと思われる。

  江戸時代の一大生産地であった日野町(滋賀県)の伝世品調査では、一部に浄法寺漆器(箔椀)が認められている。箔椀は日野で生じた技術と一部ではいわれているが、日野は17世紀代までに生産が途絶していることから、これは浄法寺漆器が流通した例と考えられる。浄法寺の漆問屋の資料には「火野もの」といわれる椀が伝わたとの記録もあるので、近江商人や会津との交流があったことが推測される。



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