カシオペア連邦と西郷隆盛 その2


西暦2004年1月27日に、「カシオペア連邦と西郷隆盛」と題して謎の写真の件をこのサイトで紹介させていただきました。
なんの根拠もなく裏書きの文字だけで「西郷隆盛」の写真かもしれないと思って発表したのですが、
ここ数年間で1万件を超えるアクセスがあり結構話題を呼んでいるようです。

西郷隆盛は歴史上の人物だけに人気もあり、その写真が残されていないだけに皆さんが興味を持たれているようです。
鹿児島から遠く離れた旧南部藩領内にこの写真が存在することを俄には信じられない人も多く、あまりにも強烈な肖像画のイメージも重なり、
地元の人でさえ「あり得ない」という一言で片づけています。


(八戸のフリーマーケットで見つけた写真)


西暦2004年1月27日にコンテンツを作った際には裏書きを公開しませんでした。
コピーをしまい忘れたためでした。
裏書きがあるからといって写真の人物を正しく伝えているとは限りません。
はっきり言って判断に苦しむ裏書きです。

ここでは影武者といわれている永山弥一郎が西郷隆盛と書かれています。
その下に隆道と書かれている意味がわかりません。
真ん中の人物は西郷吉之助書かれています。
その下の隆永は子供のことなのか判断に迷います。

カシオペア地方にとっては「生保内」「會輔舎」と書かれている文字が興味をそそります。





2007年の春に青森県八戸市のIさんから西郷写真についての情報をいただきました。
そのときに添付されたのが左の資料です。
某社で発行した書籍からの抜粋で、私が見つけた写真とは反対に現像されています。
服装から判断して私の見つけた写真の方が正しく現像されているものと思われます。

やはり、私の予想通り「真田事件」に関連した写真であり、永山が西郷隆盛、中央の人物が西郷小兵衛(隆盛の末弟)とされています。
残念ながらもう一人の人物については記載がありません。
I氏はこの写真の出所は八戸で幕末期に私塾を開いた栃内氏関係からのものと推測していました。

八戸のI氏からこの情報をいただいたことにより、私がフリーマーケット見つけた写真がもしかしたら「西郷一派と會輔社」を結びつける大発見になるかもしれない思いに駆られました。
少なくても馬淵川流域で同じような写真が出回っていたのです。

一般的に「真田事件」は事前に察知され未遂に終わっているのでそれ程注目されていませんが、その計画性や賛同者の数などを考えると、
北奥と鹿児島で反乱軍が決起したならば日本の歴史が変わっていた可能性も否定できないのです。

どうしても「西郷隆盛の写真」に人々の注目が集まる傾向になりがちですが、写真の中に本物の西郷隆盛が写っていないとしても、
明治初期にカシオペア地方を含む馬淵川流域の志士?たちが何らかの形で維新最大の功労者である西郷一派とつながっていることが重要な意味を持つような気がします。

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「フルベッキ群像写真」と明治天皇“すり替え"説のトリック

西郷の貌 新発見の古写真が暴いた明治政府の偽造史 (祥伝社文庫)