カシオペア連邦と西郷隆盛 その3


実話ナックルズ平成21年9月号に例の「西郷写真」が掲載されました。
写真と文章を提供したのはノンフィクション作家の斉藤充功氏です。

実は斉藤氏は6月に二戸を訪れています。目的は「西郷写真」についての調査でした。
二戸パークホテル前の「あらや」で南部美人を飲みながら語り明かしました。


斉藤氏については、陸軍中野学校関係の著作が多くあり以前から愛読させて頂いていました。
また、恩師が中野学校の二俣分校で学んだことがあり当時の合理的な思想を聞いていたこともあり、
中野学校をキーワードに話が弾みました。



さて、「西郷写真」についての実話ナックルズの記事ですが一部に説明不足の点があるように思います。
その後の調査で「西郷写真」は毎日新聞社が発行した「一億人の昭和史」に掲載されているという情報もいただきました。
自分なりにこれまでの調査や提供された情報をもとに仮説をたててみたいと思います。
まずは向かって右側の人物は永山弥一郎に間違いありません。
西郷兄弟の代理として活動していたために「西郷隆盛」「西郷従道(本名は隆道)」と書かれていたものと推測されます。

後列中央の人物は西郷吉之助と書かれています。
その下に「隆永(隆盛の本名)」と書かれています。
隆永が西郷吉之助を説明したものなのか、前列に写っている子供のことなのかで解釈が違ってきます。


中央の人物が一緒に写っている永山より年長かどうかで人物が特定できるかもしれません。
個人的には年長には見えませんので西郷隆盛末弟の西郷小兵かと思われます。
年長者とすると西郷隆盛の写真である可能性は捨て切れません。


向かって左側に人物は個人的には非常に興味があります。
會輔舎(會輔社のこと?)の生保内(小保内)とすれば、二戸地方にとっては非常に重要な意味を持ってくるでしょう。




古写真鑑定家の小沢健志氏によれば、この写真は明治7年頃に東京で撮影されたものではないかとのこと。
小保内家でこの時代に東京にいた人物としては小保内喜代太が考えられます。

喜代太は嘉永5年(1852)に生まれました。
父は會輔社を創設した小保内孫陸で兄は小保内定身でます。
明治7年頃には上京して洋算、物理、化学などを学びす。。
明治11年には帰郷し地域の青年達に新しい学問を教えたのでした。

どのような理由でこの写真が写されたのかは謎ですが、
この写真に写っているのが會輔社の小保内(生保内)喜代太だとすると、
二戸地方を含む馬淵川流域の人々が西郷一派と交流があったという新しい発見となるかもしれません。 

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こんな写真があったのか 幕末明治の歴史風俗写真館 角川学芸出版単行本