明治44年4月28日 福中10周年記念 (平成29年6月25日)


明治44年4月28日に福中開校10周年記念式典が挙行されました。
この時に披露されたお祝いの歌が、現在に歌い継がれる校歌です。

作詩者は、国漢担当の疋田剛三先生と在校生有志です。
最初、青木校長は祈念式歌の制作を各先生方に命じたがなかなか気に入った歌ができませんでした。
式典の日は迫り、在校生の有志が疋田先生の自宅に馳せ参じ、福中創立の基本理念や自分達の理想を書いてくださるように要望したのでした。
先生は酒豪でした。この時もかなり酔っぱらっていましたが、生徒の要望を受けて一気呵成に第一節と第二節を書き上げたそうです。
そして、生徒達に残りの一節を考えておけと言って一睡されました。
やがて目を覚ました先生は、生徒の作った文句に感心しほとんど手直しもせずに完成させたのこと。

こうして一夜でできた詩が青木校長の意にかない、第一高等学校寮歌のメロディーで歌われることとなりました。
歌詞がどことなくぎこちないにもかかわらず、どこか清新で学校建学の精神が歌い尽くされている名曲です。

岩手の北台天下の鎮
降るや嶽神雲薫り
湧くや霊泉龍踊る
自然の精霊鐘りて
天地の威徳象れる
我が中学(高校)や国の誇示
 
三綱の柱太しりて
五目の甍聳ゆなり
ああ荘厳の我が校や
偉人の事業実の学
学ぶ鳳雛のはばたくや
習ふ龍駒の駆るかな
 
義憤の大作時の傑
九戸古城主君見ずや
無量の感慨胸を衝く
いざや稜威を戴きて
天の使命ぞ果たさなん
国士の気魄我が理想

校歌の第三節、「九戸古城主」か「九戸古城跡」議論の分かれるところである。
今から30年前の1980年頃は「九戸古城主」と歌われていた。
60周年記念誌でも「九戸古城主」として紹介されている。
しかし、90周年のCDでは「九戸古城跡」となっているし、現在では「九戸古城跡」で歌われているようです。
 
 実は1980年当時(私の高校3年時)、この歌詞の件で校長室に呼ばれたことがあった。
「今はなんと歌っているのかね」と赤坂純雄校長。
「九戸古城主です」と答える私。

何でも60周年の前には「九戸古城跡」と歌われていたのを、
当時母校で教鞭をとっていた赤坂純雄氏と同窓会長の奥昌一郎先輩が中心となって「九戸古城主」に変えたことを話された。

校長室には同窓会長・奥昌一郎氏も同席しており、「国士の気迫と歌われている国士は、九戸政実と相馬大作のことだ」と話されたのを記憶している。
奥先輩が福岡中学2年の時に記念式歌が作られ、お祝いの席上で歌ったとのこと。
その際に配布された紅白餅が美味しくて「国士の気魄我が理想」を「我らの理想紅白餅」と替え歌を作ったと懐かしそうに語られたのが印象に残っている。

これらのことから判断すると、制定当初は「九戸古城主」で、口伝えで歌われているうちに「九戸古城跡」と歌われていたのを、
60周年(昭和36年)の頃に「九戸古城主」に戻し、どういう理由かはわからないが90周年の頃に「九戸古城跡」に回帰したと推測される。

現在は「九戸古城跡」なので、それで構わないとは思うが、少なくても制定当時と昭和30年代後半からの昭和時代には、
間違いなく「九戸古城主」と歌われていたのだから、その事実も記載して欲しいと思う。
 



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