昭南島物語  (平成29年7月8日)

昭南島物語を読み返しています。
シンガポールは、昭和17年(1942年)2月から終戦までの3年半、
日本軍が占領しますが、日本軍の占領と同時にラッフルズ博物館が改名され、
「昭南博物館」と呼ばれるようになりました。

日本軍の占領で、それまで植物園や博物館に蓄積されてきた標本や論文。
それらの文化財を壊されるのではないかと危惧したイギリス人学者がいました。

ケンブリッジ大学で生物学を学び、卒業以来シンガポールに移り住んで、
植物園や博物館で研究を続けてきたE・J・H・コーナー博士です。

そのような状況のとき、シンガポールの文化財を守るため日本から一人の学者がやってきました。
東北帝国大学で地質学を研究していた田中舘秀三博士(18841951年)です。

当時、「マレーの虎」という異名で恐れられていた現地指令官・山下奉文将軍に直接談判し、
昭和天皇陛下が博物学に理解が深いことを引き合いに出し、博物館館長のになることを認めさせます。

こうして田中舘博士が中心となり、日本人学者とイギリス人学者の協同研究が始まったのです。

田中舘は無給の館長であったばかりでなく、私財をはたいてコーナー博士らイギリス人学者や現地人をします。

田中舘の働きがなければ、ラッフルズ博物館の文化財は破壊されたはずです。
戦争という苛烈を状況下で、国籍を超えて博物館や植物園を守り抜いた人たちがいたことは、
コーナー博士はきちんと書き残してくれています。
 
『思い出の昭南博物館』(石井美樹子編訳、1982年・中公新書)

ぜひ、二戸地域の方々の必読書にして欲しいですね。




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田中舘愛橘ものがたりーひ孫が語る「日本物理学の祖」ー (ジュニアノンフィクション)
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