「一戸平糠の畠山重忠伝説」 (平成30年3月7日)

浄法寺氏について書かれた古文書。

「畠山重忠、小坪の敗戦後、重忠の三男重慶坊なる人来りて、東平に寺院を開き、 地方民をして仏教に帰依せしめ、人民を教化せしが、後此地を去るに臨み一子を残してさる。そのとき、我が子孫は永く此の地に移住すべし。万一寺院が衰いて信徒なくならば、破壊して、本堂の丸柱を以て家の重要なる所に用すべし…」と言い伝えられ、寺財で作ったという柏の丸柱が残るという。

平糠には畠山姓とともに桂姓を名乗る旧家が存在する。桂姓で思い出すのは桂清水観音=天台寺との関連である。天台寺の檀家にも桂姓の旧家があり、平成の時代になっても家としての交流があるらしい。鎌倉初期の浄法寺氏は、鎌倉の浄法寺という寺にいたとの伝説もあり、仏教に何らかの関係があったと思われる。天台寺とも何らかの結びつきがあったのであろうか。

郷土史にも造詣の深かった恩師・稲葉浅吉氏が浄法寺と平糠について語ったことがあった。

中世の平糠には浄法寺氏の一派がいて、砂金や漆を採取していた。天台寺の寺領もあり漆塗りの椀なども造っていた。平糠の南方には姉帯城があり、そこの大将も漆塗りの椀が気に入り日常から愛用していた。

天正年間、豊臣の軍勢が九戸城攻略に奥羽街道を北進してきた。姉帯城の城主姉帯兼興とその一党は九戸方として参戦し、蒲生氏郷軍三万人に対してわずか五百で奮闘し蒲生軍を苦しめた。
 
姉帯城を攻め落とした蒲生氏郷は、姉帯城内で見事な漆塗りの椀を見つけた。どこで造ったかを村人に聞いたところ、平糠の長者で造ったとのことであった。九戸城を落城させた氏郷は、会津に帰郷する際に再び平糠を訪れた。漆工職人を連れ帰るためである。この際に数名の職人が会津に移住した。

伝説や神話は、何かを暗示するものであるとすれば、平糠・畠山重忠伝説はとても興味深いものである。

画像は平糠の風景



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