「三戸県を知ってますか」 (平成30年3月9日)

明治元年12月7日(1869年1月19日) - 盛岡藩のうち明治政府より戊辰戦争の責任を問われて減封された地域が明治政府直轄となり、北郡・三戸郡・二戸郡が弘前藩取締地となる。

明治2年 2月8日(1869年3月20日) - 弘前藩の取締に対する住民の反対により黒羽藩取締地となり、北奥県を設置。

同年8月7日(1869年9月12日)、北奥県の区域をもって九戸県を設置(県庁の位置の詳細は不明)。

同年9月13日(1869年10月17日) - 県庁を陸奥国三戸郡八戸町に移転することを予定して八戸県(第1次)に改称。(八戸藩の後身である第2次八戸県とは別)。

同年9月19日(1869年10月23日) - 県庁を陸奥国三戸郡三戸に移転し、三戸県に改称。

同年11月28日(1869年12月30日) - 一部地域に斗南藩が立藩。残部を江刺県に編入。同日三戸県廃止。

斗南藩は、明治2年(1869年)11月3日に容保の嫡男・容大に家名存続が許され、翌年の明治3年(1870年)1月5日に旧会津藩士4700名余が謹慎を解かれ成立した藩である。

「斗南」は漢詩の「北斗以南皆帝州」(北斗星より南はみな帝の治める州)からとったもので、当初は三戸藩といったのを改めたものである。

会津藩を没収された会津松平家は、改めて元南部藩領の北郡・三戸郡・二戸郡内に3万石を与えられた。

同年4月18日、南部に移住する者の第一陣として倉沢平治右衛門の指揮のもと300名が八戸に上陸した。

藩主となった松平容大は、藩士の冨田重光の懐に抱かれて駕籠に乗り、五戸に向かった。

旧五戸代官所が最初の藩庁になり、後に現在の青森県むつ市田名部の円通寺に移った。
 
その後、斗南藩は明治4年(1871年)の廃藩置県で斗南県となり、その後斗南県少参事廣澤安任らによる明治政府への建言により、同年のうちに弘前県・黒石県・七戸県・八戸県・館県との合併を経て青森県に編入された。

また、二戸郡は明治9年に岩手県に編入された。

廃藩置県による旧藩主の上京により、移住してきた者の送籍・離散が相次ぎ、大多数が会津に帰郷している。

当地に留まった者では、明治5年(1872年)に広沢らが日本初の民間洋式牧場が開設したほか、入植先の戸長・町村長・吏員・教員となった者が多く、子孫からは、北村正哉(元青森県知事)をはじめ郡長・県会議員・町村長や青森県内の各学校長などが出ている。

容大は明治17年(1884年)子爵となり、華族に列した。



松平容大の画像。こちらのサイトよりお借りしました。

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