ノモンハン

 昭和14年(1939年)5月、満州と外蒙古(モンゴル)の国境で日本・満州軍とソ連・外蒙古軍が激突します。ノモンハン事件が勃発しました。以前は、この戦闘はソ連の機械化部隊に対して日本軍はまったく歯がたたなかったと言われてきました。

 ところが、ソ連崩壊後にソ連側から新しい資料が出てきて評価が変わってきています。 
 教科書などには、損耗率7割としているものもあり、この数字が一人歩きし、「惨敗」となり、ソ連が大量の戦車を投入していることから、機械化部隊に歯が立たなかったとされています。

 実は、なんとソ連軍は参戦77,000名で戦死者26,000人だそうです。一方、日本側の参戦者は30,000名で戦死者17,000名です。この数字を知れば、ノモンハンの評価も変わります。

 これまではソ連側の発表の数字が一人歩きしていたのです。ソ連に近代的機械化部隊があっ
たというどうも怪しいですね。
 戦車戦ではソ連軍の被害約800台にたいして、日本側の損害は29台です。航空戦でも圧倒します。ソ連側の損害が1,673機なのに、日本側は179機です。

 ところが、スターリンは強かです。このノモンハン以前の昭和13年(1938)には、ドイツとの間で独ソ不可侵条約を結びます。ドイツと日本から挟み打ちを恐れたのでしょう。西側から攻撃される恐れの無くなったスターリンは、心おきなく日本を挑発します。

 しかし、どうしても日本軍を壊滅できません。慌てたスターリンは、日本の同盟国であるドイツのヒトラーに泣きつきます。リッペントロップを通してヒトラーに停戦を依頼します。日本はその停戦を受け入れます。

 もちろん日本軍の油断や意思の不統一、敵の力の過小評価など発生すべき点はありますが、これまで言われているような壊滅的な敗戦では無いような気がします。ノモンハンで勝てないスターリンは、日本との闘いを諦めます。再び日本との闘いを決意するのは、昭和20年8月8日です。日ソ不可侵条約を破棄し、関東軍攻略のために120万人を動員します。それでも自力では日本軍を壊滅できませんでした。




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