安 重根

 韓国では、安重根が英雄視されている。彼は明治42年(1909)年に、日本の初代内閣総理大臣で、初代韓国統監である伊藤博文を暗殺した人物である。

 しかし、少し調べてみると、安重根は反日思想の持ち主ではないことが分かる。彼は平和を望んだクリスチャンであり、日本という国や明治天皇に敬意と感謝の念を持っていた。日韓問わず安重根を「反日の象徴」として捉えている人は、史実を調べていない。

 例えば、安重根は暗殺事件の裁判で、日本が、大韓帝国(=李氏朝鮮が1897年から1910年まで使っていた国号)の皇太子、李垠(イ・ウン)の教育に尽力したことに触れ、国民が感謝していると述べている。日清・日露戦争を通じて、日本が朝鮮半島を含む東洋の平和を守ったことも評価している。明治天皇が韓国の独立をはかり、平和の維持に努めたことも理解している。

 問題は、安重根が、伊藤のことを「明治天皇の意向に反した政策を朝鮮半島で行う逆臣」と思い込んだ点にある。現実には、伊藤こそが李垠を日本に招いて教育した張本人である。しかも日韓併合反対派の中心人物だった。

 韓併合で朝鮮半島は日本の一部となり、朝鮮人は日本国籍となった。大日本帝国は国家の威信にかけて、朝鮮半島の衛生改善やインフラ整備、産業育成、教育レベル引き上げに取り組んだ。朝鮮民族の独自性も尊重し、ハングルを普及させた。

 しかし、伊藤暗殺には大きな謎が残っている。伊藤博文には三発の銃弾が命中し、体内に残っていた二発の銃弾はフランス騎兵銃のものだった。安重根は7連発ブローニング拳銃。伊藤に同行した貴族院室田義文も5発被弾したが、犯人は安重根ではないと書き残している。

 その内容の一部は、
「駅の二階の食堂からフランス騎兵銃で撃った者がある。・・・右肩から斜め下に撃つにはいかなる方法によるも二階を除いて不可能である。そこは格子になっていて斜め下に狙うには絶好であったというものだった。

   室田義文は伊藤公の遺体の処置に立会い、右肩を砕いて右乳下に止まった一弾と右腕関節を貫通して臍下に止まった一弾を確認している。ところが不思議なことに、検事の調書には室田が銃について述べた記録はなく、安重根を裁いた公判記録のどこにも銃の文字は出てこないし、遺体の処置に当たった医師の談話にも銃は出てこない。

  外務省外交資料館の「伊藤公爵満州視察一件」というファイルに興味深い以下の記載が残されている。
 「・・・真の凶行担当者は、安重根の成功とともに逃亡したるものならんか。今、ウラジオ方面の消息に通じたる者の言うところに照らし凶行首謀者および凶行の任に当たりたる疑いあるものを挙げれば左の数人なるべきか」として25人の名前を記しており、安重根の名前もこの中にありますが、この25人は「韓民会」というロシア特務機関の影響下にある組織であった。

 この記録を素直に読めば、安重根を犯人にしたてあげて外交的にも内政的にも幕引きにしたということかも知れない。ロシア特務機関が伊藤を狙った理由としては、日露戦争前に伊藤はロシアと協商を結ぼうとしていたが、その後に日英同盟が結ばれ、日露開戦が予想より早くなりロシアは敗北した。対ロシア謀略の中心人物が伊藤であると判断しており、裏切り者として復讐したというものだ。

 黒鉄ヒロシ氏の説は、日露戦争でボロボロになったロシアを貿易によって救おうとしたのが伊藤博文であり、革命を目指していたレーニンの利益に反する状況だった。そのため安重根に伊藤を暗殺するように仕向けたと言うものだ。全く根拠が無いわけではなく、ロシア革命の前にレーニンが7連発ブローニング拳銃を買い漁っていたことは事実のようである。




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