湯德章

熊本出身の坂井德藏と台湾出身の湯玉を父母に、日本統治下の台湾台南に生まれ育った。父德蔵は巡査だったが本島人による最後の抗日武装蜂起であった西来庵事件で殉職。

姓は、内台共婚法成立前に父が死んだので湯姓で湯德章(閩:Thng Tek-chiong)だが、後に叔父又蔵と養子縁組をしており、日本名は坂井姓である。

退学や転職の紆余曲折を経て、而立内地に渡って中央大学予科に法律を学び、最終学歴小学校卒業でありながら文官高等試験司法科はおろか行政科にまで合格し、台南に戻って弁護士事務所を開設した。

第二次世界大戦終結後、中国国民党統治下で発生した二・二八事件において、台南市の人民自由保証委員として台南学生をなだめ、国民党軍の報復によって台南学生が虐殺される事態を防いだ。国民党軍に逮捕され、市中引き回しの上、大正公園にて処刑された。

戦後「民生緑園」と改称された大正公園は、1998228日に「湯徳章紀念公園(中国語版)」に改称し、德章の胸像が設置された。また、2014年には德章の命日313日が台南市の「正義と勇気の紀念日」に制定された。

世界はなぜ最後には中国・韓国に呆れ日本に憧れるのか: 二〇〇〇年前から外国人が見て驚いた日中韓の違い



目次に戻る


韓中衰栄と武士道  今こそ、韓国に謝ろう
  スニヨンの一生 (1984年)