樋口李一郎

樋口季一郎の名は、あまり知られていないかもしれません。しかし彼は、まさに「奇跡」の事例に関与しています。

昭和13年(1938)、満洲のハルビン特務機関長在任中に、シベリア鉄道経由で欧州から逃れてきたユダヤ人難民を、満洲国に働きかけて救出したこと。

樋口は明治21年(1888)、淡路島に生まれます。家業の廻船問屋が零落したこともあって学費の安い陸軍幼年学校を経て、明治42年(1909)に陸軍士官学校(21期)を卒業し、陸軍将校としての道を歩み始めます。その後、歩兵第一連隊での勤務を経て、第一次世界大戦中に陸軍大学校に入学しています。

樋口はドイツ語など多くの言語に通じ、終生語学を得意としましたが、陸軍大学校ではロシア語を割り振られます。これは樋口の生涯にとって、きわめて重要な意味を持ちます。

なぜなら当時、陸軍の主敵はソ連であり、しかも陸大在学中(1915年~1918年)にロシア革命が起きているからです。さらに、彼が陸大を卒業した月(191811月)に、第一次世界大戦の休戦協定が結ばれます。つまり、その後の日本の歩みに重くのしかかってくる「世界革命と総力戦」の時代に、樋口はその圧力を最も鋭く受け止めざるをえなかった陸軍のロシア畑を歩むことになったのです。

陸大卒業後、情報将校としてインテリジェンスに携わり、大正14年(1925)から3年間、ポーランド公使館付武官を務めます。

当時、ソ連とドイツに挟まれたポーランドは、インテリジェンス活動に大変な力を入れており、ポーランド陸軍はソ連・ドイツ両国の暗号解読に大きな成果を挙げていました。実は樋口のポーランド在任と時を同じくして、樋口と陸軍士官学校の同期である百武晴吉がポーランドで暗号研究に取り組んでいます。これにより日本陸軍の暗号技術はきわめて高度なものとなりました。

樋口が広げたポーランドでの人脈が、このような優秀な陸軍の暗号システムを築くことになる百武の活動を支え、また日本とポーランドが暗号解読を含む機密情報をやりとりできる関係――国家間で最も探い信頼関係――を結ぶ大切な素地となったのでした。

そんな樋口が、高い知性と合理的な思考を求められるインテリジェンスという仕事に就き、多くの人的交流の機会に恵まれ、豊富な海外経験を積んだことは、きわめて重要なことだと思われます。あの時代のワルシャワや、樋口がよく訪れたウィーンなどの中欧(中部ヨーロッパ)には、近代西洋文明の最後の輝きがありました。日本人としてこのような「場」に触れた感受性の高いエリートは、翻って「日本はどうか」「日本の大切なものとは何か」を考えるようになります。強固な愛国心と共に、必ずや、日本人が失ってはならない普遍的な「人間性」や「人としての心」に目を向けることになるのです。

このような経験のなかで自らを磨いていくことで、樋口は「広い視野」と「日本人として大切にすべき人道」、そして「合理的な思考に立脚した正しい決断力」を身につけていったのでした。

昭和12年(1937)、樋口は「関東軍の情報部長」ともいうべきハルビン特務機関長になります。そしてこの地で、ユダヤ人難民救出事件――いわゆる「オトポール事件」に直面することになるのです。

当時、ナチスの迫害が吹き荒れる欧州からシベリア鉄道経由で逃れてきたユダヤ人難民の満洲への入国を、ナチス・ドイツの顔色を窺(うかが)う日本の外務省への遠慮から満洲国が渋り、満ソ国境の町オトポールで多くのユダヤ人が立ち往生していました。その窮状をハルビンの極東ユダヤ人協会から訴えられた樋口は、満洲国に働きかけて入国を認めさせ、彼らの脱出ルートを切り開いたのです。これは有名な杉原千畝(すぎはらちうね)の「命のビザ」の話よりも、さらに2年ほど前のことです。また樋口は、ハルビンのユダヤ人たちが開いたこの事件への謝恩大会で、「今日、世界の一隅においてポグロム(ユダヤ人虐待)が行なわれ、ユダヤに対する追及または追放を見つつあることは、人道主義の名において、また人類の一人として私は衷心悲しむ。ユダヤ追放の前に彼らに土地すなわち祖国を与えよ」と演説しました。

これらは、当時の状況では、決して容易なことではありません。当初、満洲国や外務省が入国を拒んだのは、ナチス・ドイツと防共協定を結ぶ関係にあったことから遠慮し、現にナチス・ドイツは樋口を名指しして日本に公式に抗議していますし、陛軍内部でも樋口の処分論が高まります。

また、もう1つ忘れてはならないのは、当時日本でも「ユダヤ陰謀論」が根強く唱えられており、陸軍内部にも四王天延孝将軍などをはじめとして、それに加担する一派が存在したことです。これは事実として誤っていただけでなく、日本の進路にとって大いに問題のある議論でもありました。というのも当時、日本のマスコミ界ではとくに「ユダヤ金融資本の陰謀」を書き立てる傾向が強く、それがまた、「反英米」感情の火に油を注ぐ結果となっていったからです。さらに、そもそもベルサイユ会議(1919年)以降、「人種平等」を国是のように唱えていた日本が、本来ならば最も唾棄(だき)すべき「人種差別主義者」ナチス・ドイツと手を結ぶ下地にもなってしまったのです。

 

 このような状況下で、「日本も満洲もドイツの属国ではないのだから、ドイツの非人道的な国策に協力すべき理由はない」と明言した樋口の勇気ある姿は、その人物の大きさと共に、日本人としての誇りを感じさせてくれます。

https://www.youtube.com/watch?v=4caq5e_toz8




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