朝鮮国民を虐殺した李承晩  1

北朝鮮のミサイル問題は、脳天気な日本人に、実は朝鮮戦争は未だに終わっていないという事実を突きつけたのかもしれません。

ソウルを首都とするかつての韓国では、首都を南に移すことも検討された事があります。前朴槿恵前大統領の父の朴正煕大統領は1970年代に首都移転構想を打ち出しまました。

その後、盧武鉉大統領がソウルの南東120キロの地に「世宗市」を建設し、ここを新しい首都にしようとしました。この時は、保守派の反対や2004年に出された憲法裁判所の首都移転違憲判決により遷都計画は中止されたのです。

  朝鮮戦争では、韓国は追い詰められて、水原、大田、大邱、釜山と政府の拠点を移しました。なんとか38度線まで押し戻し、それ以降はソウルに首都を置きます。

それ以来、北朝鮮を押し戻すということが政府の使命とされ、ソウルから遷都することは「後退」であると否定的に捉えられたのです。

  1950625日、朝鮮戦争の開始当初、韓国は連戦連敗でから1週間で政府機能を釜山へ移します。李承晩大統領ら政府は、国民を見捨てて、ひたすら逃げるのみでした。無為無策の韓国政府に対し、国民の批判と怒りが沸き起こります。

  政府はこれらをかわすため、スケープゴートを探します。韓国現代史の最大のタブーとされる保導連盟員の大量処刑(保導連盟事件)です。政府は、韓国軍が北朝鮮軍に簡単に敗退するのは韓国民の中に北朝鮮と内通するスパイがいるからだ、と喧伝しました。

 保導連盟とは、共産主義からの転向者や政治犯、その家族らを再教育するために作られた組織でした。その中には、配給がスムーズになるという理由で、貧困層や素行不良な一般市民も多く含まれていたようです。

  李承晩は、彼らをスパイと決め付け、軍や警察に処刑するよう命じました。反対派を恐怖政治によって黙らせ、政府の失態をスパイの責任にしてしまおうと考えたのです。

このとき、多数の保導連盟員が韓国全土で処刑されました。保導連盟事件の犠牲者数には諸説ありますが、この事件の遺族会にあたる「全国血虐殺者遺族会」は114万人が処刑されたと主張しています。

韓国政府の「真実・和解のための過去史整理委員会」を率いた歴史学者の金東椿氏は、少なくとも6万人から11万人、朝鮮戦争研究の第一人者である延世大学の朴明林教授は、1950年だけで20万人が処刑された可能性があるとみています。

  いずれにせよ、朝鮮戦争で犠牲になった韓国の民間人の相当部分が、北朝鮮軍によって殺されたのではなく、自国の政府によって殺されたのです。金東椿氏は、北朝鮮軍がのちに国連軍によって北へと押し戻される際、同様の規模で「南の協力者」の集団処刑を行ったとも推測しています。

  この大量処刑で、政府批判はピタリと静まります。政府にとって、この措置は極めて効果的であったのです。危機は、敵・味方区別なく、あらゆる存在を「脅威」に変えてしまいます。脅威が脅威を呼ぶ負の連鎖の中で冤罪が巻き起こり、必然的に、多くの犠牲者が発生します。

  韓国政府が釜山へ移った72日以降、待ちに待ったアメリカ軍の部隊投入が始まります。「アメリカ軍が来ればもう安心だ」と李承晩は手放しで喜んだといいます。ところが、アメリカ軍は士気の高かった北朝鮮軍に各地で敗退しました。アメリカ軍では第2次世界大戦の終結時に多くのベテラン軍人が退役しており、急ごしらえの実戦経験のない部隊が編入され、士気も低かったのです。

  アメリカ軍は、大田で大敗すると、釜山まで撤退します。その際、北朝鮮軍によりアメリカ兵捕虜が虐殺される「303高地の虐殺」が起きています。北朝鮮の金日成は、「解放記念日」の815日までに釜山を陥落させて朝鮮半島を統一すべし、と声明を発表します。

  焦った李承晩は日本の山口県に亡命政府を受け入れてもらうよう、日本と交渉を始めています。大の日本嫌いであったにもかかわらず、日本に助けを求めたのですから、まさに恥も外聞もありません。

  しかし、当初は敗退し続けていたアメリカ軍も、釜山近郊でようやく北朝鮮軍を押し返しはじめました。「アメリカに助けてもらう」という李承晩のもくろみは、何とかギリギリのところで達成されたのです。

戦争の最中でも李承晩は、野党の弱体化を謀り、民国党のスポンサー的存在だった湖南財閥の中核・京城紡織の預金引き出しを停止します。このため京紡は李派に資金供給先を変更し、民国党は強力な経済的基盤を失うこととなってしまいました。

昭和27年(1952118日には李承晩ラインを宣言しなす。このラインが撤廃されるまでの13年間に、日本漁船の捕獲事件など日本人抑留者は3929人、死傷者は44人を数え、人間として満足な生活をする権利すら与えられず、家族が送ってくる差し入れ品すら韓国警察によって中身が抜かれて届かなかったりします。当時、李が「アメリカは余り信じるな。ソ連の奴らには騙されるな。日本は必ず再起する。注意せよ!」が韓国で流行語になったそうです


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韓中衰栄と武士道  今こそ、韓国に謝ろう
  いよいよ歴史戦のカラクリを発信する日本人