極東軍事裁判の茶番劇

★ダグラス・マッカーサー(米・連合国最高司令官)

「日本は、絹産業以外には、国有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。もしこれらの原料の供給が断ち切られたら、1千万から1千200万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。
(1951年5月3日、米国議会上院の軍事外交合同委員会の答弁にて)」


★C・A・ウィロビー将軍(米・GHQ参謀第二部長)

「この裁判は歴史上最悪の偽善だった。こんな裁判が行われたので、自分の息子には軍人になることを禁じるつもりだ。……〔なぜ東京裁判に不信感を持ったかと言えば〕日本が置かれていた状況と同じ状況に置かれたならば、アメリカも日本と同様戦争に訴えていたに違いないと思うからである。
(東京裁判終結後、離日の挨拶に訪れたレーリング判事に対する言葉)」


★ハーバート・フーバー(米・元大統領)

「もしわれわれが日本人を挑発しなかったならば決して日本人から攻撃を受ける様なことはなかったであろう。」


★チャールズ・リンドバーグ(米・飛行家・大佐)

「ドイツ人がヨーロッパでユダヤ人になしたと同じようなことを、われわれは太平洋でも日本人に行ってきたのである。
……地球の片側で行われた蛮行はその反対側で行われても、蛮行であることには変わりが無い。『汝ら人を裁くな、裁かれざらん為なり』。この戦争はドイツ人や日本人ばかりではない、あらゆる諸国民に恥辱と荒廃とをもたらしたのだ。」


★エドウィン・O・ライシャワー博士(米・元駐日アメリカ大使

「軍事法廷はかく裁いた。だが歴史は、それとは異なる裁きを下すだろうことは明らかである。」


★プライス(米・陸軍法務官)

「東京裁判は、日本が侵略戦争をやったことを懲罰する裁判だが、無意味に帰するからやめたらよかろう。なぜならそれを訴追する原告アメリカが、明らかに責任があるからである。ソ連は日ソ中立条約を破って参戦したが、これはスターリンだけの責任でなく、戦後に千島、樺太を譲ることを条件として、日本攻撃を依頼し、これを共同謀議したもので、これはやはり侵略者であるから、日本を侵略者呼ばわりしても精神的効果はない。」


★ジョージ・フリードマン教授(米・ディッキンソン大学)

「まともで教育のある人びとが、なぜパールハーバーを攻撃する道を選んだのか。こういうことを理解せずに、ただそれを非難する人びとがいる。彼らこそが戦争をもっとも起こしやすい人びとなのだ。当時の日本の指導者たちをモンスターにしたり、日本の置かれた悲劇的な立場を考えもせに発言する人びとを英雄視したりしても、何の解決にもならない。解決どころか、このような態度そのものが問題なのだ。」

★ベルト・ファン・A・レーリング判事(蘭・東京裁判オランダ代表判事)

「国際裁判所が、正義に基づいて処罰を加えることを求められているにもかかわらず、自ら正義の法理を適用しているか否かを審査する機能や義務さえ与えられないで、単に戦勝国の最高司令官の定めた法規を適用しなければならない。かようなことを本裁判所が認めるとすれば、それは国際法のためにこのうえなく有害なことをしたことになるだろう。」


★ウエッブ(オーストラリア・東京裁判裁判長)


「私は日本が9千万人の住む小さな土地で耕作できる面積はそのうち15パーセントにすぎず、外部から激しい貿易制限や規制を受けていたとの弁護士の論述に多くの正論と酌量の余地を認めた。私は米国なり英国なりが同じ様な状況におかれたらどのように反応したか、それどころか国民がどのような反応をすることを望んだかを考えてみた。米国も英国も日本が1941年におかれたような状況におかれれば、戦争に訴えていたかも知れないのである。」


★K・R・ナラヤナン(インド・大統領)


「(パール)博士の有名な反対判決は、勝者側の偏狭なナショナリズムと政治的復讐とを退け、それよりも平和そして国家間の和解と親善のために努力すべきことを説いた、感銘深い呼びかけでありました。博士はまた、そのように行動されたことにより、インドと日本との友好と理解のシンボルとなったのであります。
(1997年10月16日、京都のパール博士顕彰碑建立の際に寄せたメッセージ)」


★カール・ヤスパース(独・哲学者)

「私はどう考えても一つの民族だけが、戦争の責罪を負わなければならない義務はないと思う。自分には罪はないなどというのは、薄っぺらで、ごまかしの道徳意識だ。これこそひとりよがりというものだ。その証拠には、彼らはすでに、次の戦争の準備をし、これを促進しているだけではないか。……いっそ明白なる暴力の方がましである。その方が正直で我慢しやすい。そこに存在したものは戦勝国の強権ばかりであった。それは人類の将来の平和のために、無益なばかりか、極めて有害な存在となった。」


★毛沢東(中国共産党主席)

「〔昭和39年、社会党の佐々木更三委員長が、毛沢東主席に『中国国民に多大の損害をもたらして申し訳ない』と挨拶したところ〕何も申し訳なく思うことはありませんよ、日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。中国国民に権利を奪取させてくれたではないですか。皇軍の力なしには我々が権利を奪うことは不可能だったでしょう。」


★鄧小平(中国共産党副主席)


「日本は中国を助けたことになっている。……日本が蒋介石を重慶まで押し下げてくれたので、我我は日本軍の占領地域の後方に広がった。……皆さんだけを責めるのは不公平だと思う。」


★ラダ・ビノード・パール博士(印・東京裁判インド代表判事)

「日本とドイツに起きたこの二つの国際軍事裁判を、他の国の法律学者が、このように重大問題として真剣に採り上げているのに、肝心の日本において、これが一向に問題視されないとはどうしたことか。これは敗戦の副産物ではないかと思う。すなわち一つの戦争の破壊があまりにも悲惨で、打撃が大きかったために、生活そのものに追われて思考の余地を失ったこと、二つにはアメリカの巧妙なる占領政策と、戦時宣伝、心理作戦に災いされて過去の一切が誤りであったという罪悪感に陥り、バックボーンを抜かれて無気力になってしまったことである。私が日本に同情ある判決を行ったと考えるならば、それはとんでもない誤解である。私は日本の同情者として判決したのでもなく、西欧を憎んで判決したのでもない。真実を真実と認め、これに対する私の正しき法を適用したにすぎない。それ以上のものでも、また、それ以下のものでもない。」

★東京裁判、首席検事キーナン
日本糾弾の急先鋒であった首席検事キーナンですら裁判後数年にして「東京裁判はいくつかの重大な誤判を含むのみならず、全体として復讐の感情に駆られた、公正ならざる裁判だった」と告白した。

★英国枢密院顧問官国際法権威ハンキー卿
『戦犯裁判の錯誤』を著わし、裁判官パール氏の主張が絶対に正しいことを、「私は全然疑わない」と言明し、東京裁判の不公正を衝く。
http://www.geocities.com/TheTropics/Paradise/8783/kenzoy.html

★英法曹界重鎮FJPビール氏
『野蛮への接近』を著し、「東京裁判は戦勝者が敗戦者に加えた野蛮な行為にほかならない。」云々。英国国際法で有名な W・フリードマン教授国会議員であり、王室弁護士R・T・パジョット博士等、皆パール博士を支持した。ロンドン世界事情研究所監修『世界情勢年鑑』(1950)は東京裁判を解説し、パール判定が正論であることを裏付けた。

★アメリカのチャールス・ベアート博士 
『ルーズベルト大統領と1941年戦争の形態と実際の研究』を著しその中で、日本が真珠湾を攻撃するより数ヶ月前に、ルーズベルト大統領はアメリカ軍部をして、海外駐屯軍に秘密に軍事行動を指令したと発表し、パール博士の指摘した点を裏ずけた。 オランダ、フランスにおいても激論が戦わされ、ついに1961年オランダの法律雑誌は東京裁判に関するパール博士の論文を連載した。 ヨーロッパ諸国においてはこのパール判決がビッグニュースとして紙面のトップを飾り大々的にその内容が発表され、センセーションを巻き起こした。

★米国、国際政治評論家ラティモア
「日露戦争の勝利がアジア民族解放運動の出発点であり、終着点はまさしく大東亜戦争であった。」

★仏大統領ドゴール
「シンガポールの陥落は、白人の植民地主義の長い歴史の終焉(しゅうえん)を意味する。」
http://www.geocities.com/TheTropics/Paradise/8783/kenzoy.html





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韓中衰栄と武士道  今こそ、韓国に謝ろう
  いよいよ歴史戦のカラクリを発信する日本人