明治9年の日米対決

 野球の伝来は明治5年から6年だとされている。いわゆる「お雇い教師」の一人だった米国人のホーレス・ウィルソン(1843-1927)が、開成学校で生徒たちに野球の手ほどきをしたとされる。

 明治6年、芝増上寺の境内に開かれた開拓使仮学校でも米国人英語教師、アルバート・ベーツが野球を教えたと言われる。開拓使仮学校は、札幌農学校、北海道大学の前身だ。ベーツの名は開拓使仮学校の設立趣意書にはないが、大蔵省のお雇いだったウィリアムの甥だった事が判明している。
 
 伝来から数年後の明治9年には初めての日米対決が記録されている。日米野球の記録が掲載されたのは、ニューヨーク・クリッパー紙であった。野球殿堂博物館の新(あたらし)美和子学芸員は、そこに掲載されている選手たちが実在の人物だったのか、どんな人物だったのか、調査を始めた。野球伝来に貢献したホーレス・ウィルソンや外交上、日本にとってなくてはならない人にまでなったヘンリー・W・デニソン。ヘボン式ローマ字を開発したヘボンの息子の名もあった。

https://www.nikkansports.com/baseball/column/yakyukoku/news/1787396.html


 日本人チームの名は「Imperial College at Tokio」。つまり、東京開成学校の日本人学生だったと書いてある。もしかすると、田中舘愛橘の名前があるかもしれないとドキドキしながらメンバーを確認した。



1(一)石藤豊太
2(左)野本彦一
3(遊
Hwogama
4(中)
笠原格 「Kusahorra」
5(右)田上省三
6(三)本山正久
7(捕)青木元五郎
8(投)久米祐吉

9(二)佐々木忠次郎

 残念ながら愛橘博士の名前はなかったが、その他のメンバーはある程度判明した。その中で4番の「Kusahorra」は、「明治維新と日米野球史」の著者、島田明は日下部辨二郎ではないかと推測している。

 そして、最大の謎は 3(遊Hwogamaは誰かという謎である。素直に読めホウガマと読めるのだが、野球し研究者がその謎に挑戦しているのだが、未だに解明されていないのである。



 そんなときに、明治8年の開成学校の在籍者名簿を持っていた事を思い出した。すぐに読み返して見たが、今のところ人物特定できない。調査続行!



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